2025年9月2日火曜日

9月2日

今日、9月2日はアメリカの戦艦ミズーリの甲板上において、降伏文書が調印された日である。国際的な認識ではこの日を第二次世界大戦終結の日としているが、日本では8月15日を”終戦記念日”とし全国戦没者追悼式をはじめ、各地域で追悼行事が行われるのに対し、9月2日はそれほど話題に上がることはない。

当時の様子が写真に残されている。調印した重光葵外務大臣と梅津参謀総長を含む10名ほどの日本人の姿が見える。詰めかける米兵の様子からはあまり厳粛な儀式の雰囲気はない。撮影したのは当然米国側であり、つまりはこれが戦勝国の視点なのであろう。日本側から見れば誇れる絵ではないのは確かだが、この写真を屈辱的だと捉えるような精神が、いまだにこの国のどこかに蔓延っているのかも知れない。


敗戦を終戦と言い換え、9月2日を記憶から消すかのような戦後のあり方に対し、多くの識者が様々な提言を投げかけてきたにも関わらず、この国の市民意識が変わる気配がないのは周知のとおりであるが、それはおそらくこの国が、平和を訴えるのが被害の立場からでしかない(加害の立場から訴えることが非常に少ない)ことと深く関係しているのだろう。

最近、でもなく以前からだが「日本」という言葉をやたら賛美する記事や映像を目にする様になっている。世界的に再びナショナリズムが台頭する時代を迎えたとも言われているが、単純にまとめてしまうことは危険であり、この国のあり方はもっと別のところに根がある様に思っている。ではどうすれば良いのか。私たちは考え続けなくてはならない。