2022年5月28日土曜日

種をまく

近年、メディア報道が大きく偏っているように思えてならない。それは今年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻報道で更に顕著になったように見える。各新聞社とTV局とのつながり、そこにあるスポンサー企業を考えれば何らかのバイアスがかかるのは理解できるが、ここ数年の間に多くのマスメディアが一方向だけを向いているように思えてならない。かつてのNHK会長が「政府が『右』と言うものを『左』と言うわけにはいかない」と発言し物議を醸したのはまだ記憶に新しいが、コロナ報道では連日感染者数(陽性者数)の発表を繰り返すことを中心に据え、”医療崩壊”を声高に叫びながらも、その理由を正確に説明するメディアは非常に少なかったように思う。まるで不安を煽る事が目的のように思えなくもないが、実際コロナ禍でTVの視聴率は跳ね上がっており、不安が拡がればそれだけTVに目が向くようになるのは理の当然だろう。そもそも多くの市民が、与えられる情報に疑いを持つこと自体が無いのかもしれないが、77年前の大本営発表を鵜呑みにしていた時代と同様になってしまってはいけないだろう。
そしてウクライナである。日本中のメデイアが西側の報道に追従する形で発信している。フリーのジャーナリストの肩書を持つ人々も同様に見える。(唯一、IWJが他社とは異なる報道をしている)わたし自身、ウクライナやロシアの歴史について詳しい訳ではない、それでも何が起きているのか調べていけば様々な映像や資料を目にすることはできる。ネット上では他国のフリージャーナリストの取材映像を見ることもできる。何が正しい情報なのか判断することは難しいが、それ故に簡単に結論を出せるものではないだろう。いまのこの国を俯瞰して見えるのは、単純な勧善懲悪の構図の世界を信じることで自らを安心させたい人々ではないだろうか。そして、紛争をそのような単純な構造に陥れることで、大衆を扇動しようとする者たちではないだろうか。

重田園江氏がベラルーシ出身の映画監督セルゲイ・ロズニツァに触れ、次のように述べている記事がある。
「芸術家は、ハンナ・アーレントがエッセー「真理と政治」において示した、真理を告げる者である。政治は権力者によるうそをばらまくことで、大衆を操作し動員してきた。これに対し、芸術家は政治の外に立って、人びとが真理とうそを区別するための種をまく。政治がコスモポリタンたる芸術家を排除し、うそと真理を自在に作り変えるなら、真理はこの世界から消え去るだろう。後に残るのは政治的意見の相違だけだ。」

”芸術”(という言葉が)が近代に生まれたのは、一つにはそれが反権威を動機とした所以もあるだろう。ならば表現者は権力者のうそを疑うきっかけとなる種をまいていくことが責務の一つと言えまいか。
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