2023年7月21日金曜日

On the Silver Globe

この映画を観たのはいつのことだったか。当時の自分にとってポーランドという馴染みのない国のせいだったのか、そこに映し出される映像を遠い地の果てで起きていることのようにぼんやりと観ていたように記憶している。それでも強烈な印象が残ったのは事実であり、それが果たして何だったのか再調の目的も含めて30数年ぶりにこの映画を観ることにした。が、やはり私の理解が十分に及ぶものではない事を再確認する結果となる。 それでも禍々しくも耽美であり、暴力とエロスが跋扈する世界は、映像の魔力とでも言うべき力を遺憾なく発揮していることは間違いなく、初見の時と変わらずそれを新鮮に感じる事ができたのは嬉しい誤算であった。登場人物の姿形、台詞、揺れる画面、それらが風景の中で混濁し蠢いている。それを(なす術なく)受け止めていくのは”眼”だけであり、陳腐化した言葉は置き去りにされ、映像世界にのめり込むように突き進んで行くばかりだった。そして観終わった後、残骸のような映像のかけらからは様々なイメージが立ち上ってくるのだった。

アンジェイ・ズラウスキー監督”シルバー・グローブ”(1987)

現在では、キーワードを検索すれば、幾らかの情報を得ることができ、その対象について理解を増すことはできるだろう。制作の背景を知ることは当然重要なことであり、ソ連崩壊以前のポーランドであれば尚更かもしれない。しかし思うに、それらは”映像の力”とほぼ無関係なものなのではないだろうか。

日々私たちは様々な事柄を”わかること”、正確に言えば”わかったと思えること”へ変換し続ける社会に生きている。それは”わからないこと”をそのままにしておくことが許されない社会なのかも知れない。物語の展開が”わかる”、登場人物の心情が”わかる”、作品のテーマが”わかる”、それは共感のため、そして共感は”市場のため”、、、であろうか。故に”わからないもの”はそこから排除され、常に説明過剰なもので満たされ続けている。


そんな社会で暮らすわたしたちは想像力を十分働かせる時間がどれほどあるだろう、日々の生活の中で直感に頼って決断、行動する機会は果たしてどれほどあるだろう? 誰もが”皆が好むもの”、”皆がわかるもの” に埋没してはいまいか?

こんな映画を観てしまうとそう思わざるを得ないのだ。