2025年2月28日金曜日

"kawauso"3月の映画祭予定

 ”カワウソ”が上映される3月の映画祭で公式発表されているものについてここに記しておきます。

プラハ国際短編映画祭(チェコ)開催日:2月26日-3月2日

ブリュッセル国際アニメーション映画祭「アニマ」(ベルギー)開催日:2月28日-3月8日

IAWRT アジア女性映画祭(インド)開催日:3月6日-3月8日

Prague shorts Film Festival


Brussels International Animation Film Festival


IAWRT Asian Women's Film Festival







2025年2月11日火曜日

ベルリン国際映画祭75

今年75周年を迎えるベルリン国際映画祭短編部門では、"anniversary short film programme"と称して過去の映画祭に選出された短編映画6本が上映されるが、その一つに拙作”Vita Lakamaya(ウィータ・ラカーマヤ)"が選ばれている。これは2016年にベルリンで公開された作品だが、7分40秒を縦スクロール1ショットで描いていること、ドローイングの密度を上げるためにphotoshopのブラシサイズを1pixelに設定したハッチングで描いていることなどが特徴と言える。しかしそれらはアニメーションの技術的な側面にアプローチするためのアイディアに過ぎない。

当時の日本は東日本大震災から数年が過ぎ、東京ではすでに福島原発事故を忘れてしまったかのような風潮が満ち始めていた。それに違和感を感じる人も少なくはなかったとは思うが、マスメディの多くから「原発事故」という言葉が消えたことで、人々は3.11当時の不安を過去の記憶へ閉じ込めてしまったかのようだった。
「生」「死」「自然」そして「近代」、それらの言葉から生まれるイメージを包括し描くことが当時の自分にとって一つの答えを導き出すきっかけになるように思われた。人はいつの頃からか自分の体が”自然の一部”に過ぎないことを忘れ、周囲の環境を制御し、支配することでしか身体を保つことができないと錯覚してしまったのではないか。自然とは本来”じねん”であり、「自ら然る」ことを言う。自身の身体が自然の一部であるという感覚。それを表現したいと思ったのかも知れない。
そんな”Vita Lakamaya”を再びベルリナーレの会場で上映されることは確かに幸運と言える。ベルリナーレに感謝する。

さて、そのベルリナーレも間も無く開幕であるが、昨年同様、あるいはそれ以上にイスラエルを巡り映画祭を取り巻く状況は緊張が高まっているようである。映画祭の内部は一様ではないのは確かだが、昨年の授賞式で「No Other Land」が受賞した際の会場の歓声と拍手は明らかに多くの参加者の”反イスラエル”を叫ぶ声を代弁していた。国際映画祭は運営サイドのみで成り立つものでは無く、そこに参加する様々な人々と作品が加わる事によって初めて成立していくものである。故にベルリナーレを国家の為政と混同してはならない、まして現在複雑な問題(矛盾)を抱えてしまっているドイツだからこそ、ベルリナーレは必要だと考えるべきではないだろうか。目に見える変革を映画祭に期待したい。


2025年2月7日金曜日

ヴィリニュス国際短編映画祭

ヴィリニュス国際短編映画祭に参加するため、1月16日から20日までリトアニアの首都であるヴィリニュスに滞在した。リトアニアはソ連崩壊後に独立、2004年にEU加盟を果たすがユーロ導入は2014年であり、今持って経済的に豊かな国とは言えない。到着した空港がまるで駅のような大きさだったが、映画祭の通訳を引き受けてくれた土方さん曰く「国力は空港に表れる」という通りなのだろう。そして何より印象的だったのが街の人口密度が非常に低い事であったが、それは西ヨーロッパへの移住による人口流出の影響である事を後に知る。それでも映画祭の開催される旧市街は街全体が文化遺産であり、街並みは美しくゴミが全く落ちていない様子は日本以上に清潔感に満ちていた。


「ヴィリニュスのゲットー」
到着した晩、私達は食事を兼ねて旧市街を散策したが、その際発見したのがゲットーの跡地を示す看板であった。1941年ナチス・ドイツの占領下となったリトアニアでは1944年までに20万人近いユダヤ人が殺害され、その過程でヴィリニュス、カウナスなど16の都市にゲットーを作りユダヤ人を隔離したとされる。(杉原千畝が勤めていた日本領事館はカウナスにあり、現在は記念館となっている)おそらくリトアニアの人々が自国の歴史を語る時、ホロコーストに加担したと言う事実は避けては通れない過去であり、ロシアによる被害の歴史と共にこの加害の歴史を受け継いでいることだろう。数世紀に渡り変わらね姿の街並みは否が応でも''今"が過去からの延長にある事を教えているのかもしれない。 翻って、私の暮らすこの日本はどうだろうか。世界唯一の被爆国である日本は常に広島、長崎の惨禍から平和への希求を訴える一方で加害の歴史を忘れてはいないか。加害を自覚することは「人類の愚かさ」(自身の愚かさ)を知るために必要なことであり、それは 現在パレスチナで行われている”虐殺”がまさに”被害の歴史”を大きく受け継いだ人々によって行われているという事実が示している。

「映画祭」
映画祭は旧市街の三つの映画館で行われたが、100席ほどの大きさの会場で決して大きくはないが、観客で賑わいそれなりの盛況ぶりであった。私たちの「カワウソ」は17日の夜、PASAKAという映画館で上映され、上映後のQ&Aでは興味深い質問をいくつか受け、この作品について新たな認識を持つことができたのは一つの収穫であった。無論、Q&Aに問題なく対応できたのはワルシャワからこの通訳のために駆けつけてくれた土方氏のおかげであり、彼には心から感謝している。ベルリンやワルシャワで暮らしてきた経験を待つ彼からはこの東西のヨーロッパの歴史や文化について様々なことを教えてもらうこともできた。いずれにせよヴィリニュスは観光都市以外にも様々な側面があり、また機会があれば訪れてみたい街である。

Ačiū, Vilnius.

旧市街の映画館「SKALVIJA」「PASAKA」(old town)

ヴィリニュス大学内の聖堂

旧市街から川を渡るとビジネス街が広がり様子は一変する