ベルリン国際映画祭74。参加4回目となる今回はこれまでと大きく異なる印象を持って終わることとなった。開催前からドイツでは親パレスチナを表明するアーティストへの検閲に対する批判、それにともなって映画祭への不参加や出品を辞退する監督が出るなどし、国内でもネット上ではボイコットすべし!のような言葉も散見されていた。それらを踏まえ、どのような形でベルリナーレに参加すべきなのか悩ましいところであったが、結局自分はその答えを出せぬまま現地に入り、映画祭のスケジュールに翻弄され、英語の不自由さも重なりパレスチナ問題に触れること無く映画祭を終えることとなった。(やった事と言えば一度だけクーフィーヤを巻いて登壇したぐらい)
何れにせよ、映画祭の中に入ってしまうとその圧倒的な雰囲気に圧されて様々な問題意識が薄れていったのは確かである。おそらくそれは自分だけではなく、身近で見ていた他の若い監督たちも同様だったように思う。今回のベルリナーレショーツは半数以上が西ヨーロッパの作品で占められており、それは作為的なものなのか偶然なのかは判断できないが、幾人かの監督たちは開催前からSNSで連絡を取り合い連帯し、パレスチナ問題について何かアクションを起こすことを考えていたようだった。しかし彼らも特に目立った発言はなかったように思う。(もししてたらごめんなさい)ただ授賞式で「No Other Land」(イスラエル人とパレスチナ人の二人の監督による作品)がドキュメンタリー賞を受賞した瞬間には歓喜の雄叫びと一段と激しい拍手を送っていたのが印象的だった。
戦後、民主主義を何よりも優先してきたドイツにとって、ベルリナーレもそのドイツの”正しさ”をアピールするための重要な場であることに違いはない。三大映画祭の中でも突出して社会問題を扱った映画を上映することは誰もが知るところであり、今回のAfD議員締め出しや、何よりも受賞結果がそれを十二分に語っていると言えるだろう。しかしベルリナーレ終了後のドイツ国内メディアや政府機関からは「反ユダヤ主義」と言う言葉が氾濫し、10.7と人質問題に触れなかった事を理由に授賞式の内容を批判する声が上がり、それに呼応するように言い訳をする文化大臣の姿もあった。
そこから見えるのは何であろう。単純に政治と文化は同質ではないということだけだろうか。或いは全く別の理由、それこそ長きに渡る一部の権力者の策略によって引き起こされてしまった矛盾に国民が翻弄されてしまったと言うことだろうか。
戦後、歴史と向き合うこと無く現在に至る国に暮らす私に、ドイツとドイツ国民が今現在抱え込んでしまった”矛盾”について語る言葉など無いのかも知れない。それでも、そんな自分が今になって考えてしまうのがベルリナーレ開催の中、映画祭運営に携わる人達はどのような心境でいたのか。と言うことである。パレスチナ擁護を発言するだけで「反ユダヤ主義」と見做されるような状況下で、常に笑顔でゲストをサポートしてくれた彼らがどんな気持ちでベルリナーレを迎え、そして終えたのか。当然一様ではないだろうが、中には苦しい立場に立たされていた人もいたのかもしれない。ベルリナーレショーツのキュレーター、Anna Henckelの示唆的な言葉をここに転載しておく。
「現在、私たちがお互いに対話する方法は、思い込みと不信によって規定されている、それ故、人々がスクリーン上でお互いを信頼し合うとき(特にお互いのことを知らない者が)それはとても感動的だと感じます。」
ドイツに限らず、西ヨーロッパがこれまで維持して来た”権威性”に揺らぎを感じ始めている、というのは大袈裟だろうか。しかし、だとすれば今後もこのような国家レベルの映画祭が存続していくためには、大きくその有り様を変える必要があるのかも知れない。