7月23日、常磐線を乗り継ぎ福島県双葉町へ。双葉駅前で郡山に住む友人W氏と合流し、彼の車で”福島原発事故伝承館”へ向かう。(双葉町は現在も帰還困難区域であり、除染済みの一部区域を除き長時間の立ち入りは制限されている。駅前は3年前と比べ更地が増えており、印象的だった半壊の寺の本堂も姿を消していた。)
スロープにある写真パネル |
”福島原発事故伝承館”のロビーは思った以上に広く圧迫感のない快適な空間となっており、丁寧な対応の受付に促され入場料600円のチケットを購入する。展示は1階の大型スクリーンでの福島原発の歴史映像から始まるが、6画面をうまく切り替えながら表示される映像編集のせいなのか、被災地や避難民の人々が映し出されても何か小洒落た”別のもの”を見ているような奇妙な感覚になる。映像が終われば螺旋状のスロープで上階の展示室へ向かい、その途中で再びパネル写真で福島原発の歴史を復習する。メインの2階展示空間はやや繁雑さを感じたが、様々な資料や映像、原発のジオラマ等が並び、事故当初の状況を詳しく理解できる内容になっていた。館のスタッフの補足説明も良い。(多分良いのだろう、あまり聴いていなかったのだがそんな気がする)展示スペースを抜け、3階テラスで芝生と海のコントラストを眺めながらずっと感じていた違和感について考えてみた。ここで原発事故の当時の状況を理解することは十分できる。しかし、わずか3Kmしか離れていない場所で今もなお”事故が継続”している現実の危機感を肌で感じることが全くできないのは何故なのだろう。展示では原発の現状を説明する箇所があるにも関わらずだ。ここでは何かが欠如しているのではないか。森達也の「歴史を知ること、後ろめたさを引きずること、自分の加害性を忘れないこと」そんな言葉を思い出す。
おそらくはこの”福島原発事故伝承館”には”後ろめたさ”が無く、”加害者意識”が無く、「私はあの事故と全く関わりがありません」そう言っている場所から原発事故を眺める装置になっているのではないか。ある視点から過去へ向けたパースペクティブの中に収まる物しか見えない、遠近法主義的な、すでに過ぎ去った、終わったとする物を見るための装置になっている。
”福島イノベーション・コースト構想”、それがこの福島原発事故伝承館を企画したプロジェクトの名前である。それは様々な民間企業や第三セクターが国の補助金によって技術開発を行う巨大な事業複合体となっている。被災地復興に国が尽力するのは当然のことだが、これは事故における責任も被災者への配慮も不十分なまま進んでしまった一例なのではないか。ここを訪れた人は自分が”加害者”の一人である事を想像することはできないだろう。
浪江町請戸浜 |
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