20代の頃、Macintoshのハイパーカードを使って、ウサギの絵をクリックするとランダムに様々な方向にウサギが飛び跳ねるというインタラクティブアニメーションを作ったことがある。ウサギが飛び跳ねる方向は人には予測できないという話から思い付いたように記憶しているが、今にして思えばアイディアをすぐに具現化できるツールに夢中になっていた時期でもあった。現代においてはスマホ一つあれば、大体のことは事足りる。と言うのは言い過ぎかもしれないが、小さなコンピューターを持ち歩いていることに違いはない。
この先もテクノロジーは人の欲望が尽きない限り進化していくのだろうか。しかし、果たしてそのテクノロジーの力によってわたしたちはどれだけ幸せになったのだろう。”便利”=”幸せ”という図式は単純な思い込みでしかなく、その思い込みによって逆にわたしたちの生活は”見えない不自由”を強いられてきているようにも見える。
これまで様々な問題をテクノロジーの力のみで解決しようとした結果生まれた歪みが、大きな負荷となってわたし達に戻ってきているのだろう。
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